大学生のうちに恥をかいても大丈夫、何回でもやり直せるんだから
いま振り返ると、大学生活中に起業したいとか口にしていた。
周りからは笑いものにされ、そんときはやっちまったな感がありました。
でも、今思えばそれで良かったのかもしれない。どうも、ひもりん(@hinokinokibun)です。
胸を張って「最高の学生生活送ってます!」と言えますか?
そうでもないなって思った人は、なにか得られるものがあれば嬉しいです。
そもそも、なぜ恥じることがあるのか?
英語が話せるようになりたいけど、話す練習は恥ずかしくてできない。
分からないところがあって質問したいけど、バカにされるかもしれないから恥ずかしい。
自分の夢を語ると、バカにされるかもしれないから恥ずかしい。。
恥ずかしいことなんて、あげてみればキリがない。
わたしもそうだ。恥ずかしいことなんていくらでもある。
いまこうやって、なんだコイツの文章はクソだなと思われるかもしれないと、書いていることも恥ずかしい。
でも、恥じることって自分の思い込みにすぎないのではないだろうか。
わたしは
英語を頑張って練習してる人って、すごいって思う。
積極的に質問できる人って、得してるなって思う。
夢を語れる人って、カッコイイと思う。
自分が感じているのと、周りの人が思っているのは違ってると気づいた。
いま思い返してみれば「この人恥ずかしいな」ってこと思うことなかったし。
恥をかいてもいい心構えは役に立つ
恥じることは自分の思い込みにすぎないから、どんどん恥をかいてもいい。
でも、わざと恥をかきにいく必要はない。やっぱり恥じることは避けたいというのがホンネだ。わたしもその一人。
わたしが言っているのは恥をかいてもいい心構えでいること。
恥じることを恐れて、一歩がなかなか出ない人は少なくない。自分が恥ずかしい思いをすると思って、行動が制限されてしまうのだ。
行動に移せない人って、結局あとになにも残らないから、中身がスカスカでオモシロくない。
チャンスもつかめないから、現状が変わることもない。
自分の思いが伝えられないから、一向に話しが進まない。
恥を恐れていてはいいことはない。
むしろ、積極的な人だなって思う。てか、そうじゃないとボク恥ずかしすぎて顔出しなんかしてないです。
失敗することは恥ではない
「よっしゃ!恥なんか捨ててやってやる。」となれば、もう十分だ。
挑戦すると必ず失敗がついてくる。失敗して恥ずかしいな、と落ち込むこともあるだろう。
だが、何かを成し遂げるには失敗は必要不可欠なのである。
失敗することで、成長する。むしろ、失敗することでしか、成長できないと思っている。
失敗という言葉が悪い。失敗を経験ととらえれば、おのずと挑戦する習慣が身に着くだろう。
いくら失敗しようが、続けて入れば役に立つ。失敗した人の方が経験値が多いのだから。
結局、迷ったらやったほうが得。
どんな人でも失敗する。100%なんてないんだよ。100%とか、あってもつまらなくね?
大学生なら、なおさら恥をかくべき
大学生というアドバンテージはめちゃでかい。
大学生なら、恥をかいたとしても、周りからは頑張ってると思われたりする。
しかも、若いからたくさん失敗(経験)をできる。
失敗の数が多ければ多いほど、大きな問題に直面したとき、対処できる術をたくさん持っているだろうし、なにより見ている側としてウマみがある。
つまり、めちゃくちゃオモシロいのだ。
わたしは3月に田舎フリーランス養成講座というものに参加した。
そこには、いままでの大学生活の環境とは違い、歳も違ければ、経歴もかけ離れた人が集まっていた。
講義のなかで、自分史(自分の経歴)をプレゼンをした。またこれがオモシロいひとばかりであった。
わたしがオモシロいと思う共通点がひとつあった。
それは、みんな自分を振り切り、行動を起こしているということだった。
夜の仕事をしていたり、120キロ体重が半分になったり、ロシヤ人と交わったり。
恥があったら、できないことばかりであった。
だからわたしは、どんどん恥をかきまくるつもりで、毎日を過ごしていったほうがいいと伝えたい。
大学生なら、これから何十年も生きるんだから、失敗したことなんか周りの人どうせ覚えてないよ。人のことって興味ないんだから。むしろ、失敗をいっぱいしてた方が就活にも活きてきて、いいんじゃないかな。